「浦島の子・・・万葉集より」(竜宮城は何処に・・・?
 この「万葉集の浦島太郎水江の浦嶋の子)」は風土記日本書紀と共に、日本最古の浦島太郎としての記述である。浦島太郎の話が現代の「浦島太郎」となるのは室町時代のおとぎ草子からである。その後は童謡などの形で受け継がれ現代に至っている。昔の日本海沿岸諸国との交流はこの浦島太郎にもある。右図の「の場所が竜宮城とされる「東京城」である。

 次は現代の浦島太郎のあらましである。
 むかし、むかし、あるところに浦島太郎という心やさしい漁師が住んでいました。ある日のことです。浜辺を歩いていると一匹の亀が子供達にいじめられているのを見ました。そこで浦島太郎は亀を助けてやりました。数日過ぎたある日、いつものように釣りをしていると亀が海から出てきました。
「浦島太郎さん、僕はこの間あなたから助けられた亀です。お姫様があなたを竜宮城におつれしなさいというのでお迎えにまいりました。」
 浦島太郎は早速、亀の甲羅に乗ると海の中に入っていきました。竜宮城は珊瑚に囲まれ魚が泳ぐ、それはそれは美しいお城でした。お姫様はそれはそれは美しいお方でした。
「浦島太郎さん、どうかごゆっくりしていって下さい。」
 浦島太郎は時間のたつのも忘れて楽しみました。まるで夢のような毎日でした。数日が過ぎ浦島太郎は村のことやお母さんのことを思い出しました。ついに別れの時がやってきました。別れぎわ、お姫様は浦島太郎に小さな箱を手渡しました。
「浦島太郎さん、もし困ったことがあったらこの箱を開けなさい。」
 亀に乗って村に帰った浦島太郎は、どうしたことか自分の家もお母さんも見つけられませんでした。村はまったく変わっていました。どうしたらよいかわからなくなってしまい、箱を開けてみることにしました。すると白い煙が出てきて、浦島はあっという間におじいさんになってしまいました。竜宮城で楽しく過ごしている間に、何百年も経ってしまったのです。今どこにいるのか、夢なのかわからなくなってしまいました。(以上)
 
 次は「万葉集の浦島太郎であるが、「水江の浦嶋の子(浦島太郎)」と「神の乙女(乙姫様)」との恋物語は「津波の悲劇」で幕を閉じる。
 『春の (かす)める(とき)に (すみ)()の (きし)()()て 釣船(つりぶね)の (とを)らふ()れば (いにしへ)の (こと)(おも)ほゆる 水江(みずのえ)の 浦嶋(うらしま)()が (かつを)()り (たい)()(ほこ)り 七日迄(なのかまで) (いえ)にも()ずて 海坂(うなさか)を ()ぎて()()くに わたつみの (かみ)乙女(をとめ)に たまさかに い()ぎ (あい)とぶらひ (こと)()りしかば かき(むす)び 常世(とこよ)(いた)る わたつみの (かみ)(みや)の 内隔(うちのへ)の ()()なる殿(との)に (たづさ)はり 二人(ふたり)()()て ()いもせず ()にもせずして (なが)()に ()りけるものを ()(なか)の (おろ)かな(ひと)の (わぎ)妹子(みこ)に ()りて(かた)らく しましくは (いえ)(かえ)りて 父母(ちちはは)に (こと)(かた)らひ ()()のごと (あれ)()なむと ()ひければ (いも)()へらく (とこ)()()に また()へり()て (いま)のごと ()はむとならば この櫛笥(くしげ) (ひら)くな(ゆめ)と そこらくに (かた)めしことを (すみ)(のえ)に ()へり(きた)りて (いえ)()れど (いえ)()かねて (さと)()れど (さと)()かねて (あや)しみと そこに(おも)はく (いえ)()でて 三年(みとせ)(あひだ)に (かき)もなく (いえ)()せめやと この(はこ)を (ひら)きて()れば (もと)のごと (いえ)はあらむと (たま)櫛笥(くしげ) (すこ)(ひら)くに (しら)(くも)の (はこ)より()でて 常世(とこよ)()に たなびくぬれば ()(はし)り (さけ)(そで)()り ()いまろび (あし)()りしつつ たちまちに (こころ)消失(けう)せぬ (わか)かりし (はだ)(しわ)みぬ (くろ)かりし (かみ)(しら)けぬ ゆなゆなは (いき)さへ()えて (のち)(つひ)に (いのち)()にける 水江(みずのえ)浦島(うらしま)()が (いへ)(どころ)()ゆ』
 以上が万葉集の浦島太郎である。そこで、上文中の(いえ)()れど (いえ)()かねて (さと)()れど (さと)()かねて (あや)しみと そこに(おも)はく (いえ)()でて 三年(みとせ)(あひだ)に (かき)もなく (いえ)()せめや」とは、「これは津波だ!」三年の間に全て奪って行ったのだ。次は反歌の短歌である。
常世(とこよ)()に ()むべきものを (つるぎ)大刀(たち) ()(こころ)から おぞやこの(きみ)
反歌 常世辺 可住物乎 剣刀 己之行柄 於曾也是君(万葉仮名)(巻九 一七四一)

 常世の国(竜宮城)に住んでおればよかったものを、汝(浦島太郎)の了見のあさはかさで、玉櫛笥(玉手箱)を開いてしまったのである。ところで、「玉櫛笥、少し開くに白雲の箱より出でて」の「白雲」は何であろうか。今も不明である。
 ところで、「玉櫛笥(たまくしげ、玉手箱)」とは、「玉(宝石類)」や「櫛」を入れる乙姫様の「宝石箱・化粧箱」で大切なモノである。それを彼に持たせたのは、「故郷へ帰っても必ず東京城へ戻って来てください。」との乙姫様の思いからであろう。彼は津波に動転したとしても「玉櫛笥」は開いてはならなかったのである。故に彼は非難されるべきである。つまり、「約束は守らなければならない」との教訓でもある。彼に対する「おぞやこの君」は富山弁なら、「あんたらっちゃ、おっぞー!」つまり、何とも言いようのない「彼のおぞさ(みすぼらしさ)」の意となる。

 以下は「万葉集」の原文(漢文と万葉仮名)である。
詠水江浦嶋子一首 并短歌 春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得乎良布見者 古之 事曾所念 水江之 浦嶋児之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不来而 海界乎 過而榜行尓 海若 神之女尓 玉邂 伊許芸 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不為 死不為而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人乃 吾妹子尓 告而語久 須臾者 家婦而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者来南登 言家礼婆 妹之答久 常世辺 復変来而 如今 将相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曾己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還来而 家見跡 宅毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 従家出而 三歳之間尓 垣毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手歯 如本 家者将有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世辺 棚引去者 立走 叫袖振 返側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴 由奈由奈波 気左倍絶而 後遂 寿死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見(漢文と万葉仮名)(巻九 一七四〇)

古来より能登半島へ大陸から渡来する人々がいた。中国大陸東北部の渤海粛慎と呼ばれた国々からであり、また、朝鮮半島の百済新羅高句麗などからも渡来した。ところで、「継体天皇」は福井県の三国町の出自であり、渡来人がルーツと看做されている。日本海沿岸と、朝鮮半島、中国大陸、ロシアとは古代より交流が盛んであった。「万葉集」の「水江の浦嶋の子」はこれらの先駆けであろう。(完)
(注1)富山商船高等専門学校元名誉教授の吉田清三先輩(故人)によると、「古代の漂着と浦島太郎伝説」は中国大陸の渤海との交流のさ中、九世紀前半に渤海の船が能登半島の珠洲にやって来た。この船で浦島太郎は渤海の首都の「東京城(竜宮城)」に連れていかれた。そこで、数年間、歓待される日々を過ごした後、珠洲(石川県珠洲市)へ帰国し、歩いて故郷の丹後(京都府)へ戻ろうとした。しかし、「手取川(石川県)」で「渤海国の姫(乙姫)」から貰った「玉櫛笥(玉手箱)」を開いた。ここで浦島太郎は死亡するが、その後、父(浦島太郎)を尋ねて「五人の子供たち」が「手取川(石川県)」へやって来て、石(墓石)を置いて帰ったと言う。(石川県松任市の伝説)(浦島太郎は五人の子供の父親であった
(注2日本全国の各地にある「浦島太郎伝説」の中で、最も信憑性が高い説と文作者は類推する。
(注3歌の冒頭に『春の日の (かす)める(とき)に (すみ)()の (きし)()()て 釣船(つりぶね)の (とを)らふ()れば (いにしへ)の (こと)(おも)ほゆる』とあることから、地名の「墨の江」は、大阪の「住吉」であり、「浦島太郎」は、「住吉」に縁があるとの説があるが、歌では「墨の江(住吉)の岸で・・・故事を思う」であり、この作者は故事を歌にしていて当説と矛盾しない。
(参考)「日本海学推進機構」に於ける吉田清三名誉教授の講演記録

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叶和貴子さん

日本海が湖のように見える
環日本海交流、鳥取県
鶴の恩返し かぐや姫 だんだらぼっち 三枚のお札 絵姿女房 浦島太郎
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