「遊行婦女児嶋(うかれめこじま)」(袖振りの別れ)
 「大伴旅人」は八年にわたり「大宰府」の長官(師)として赴任していた。赴任後、妻を失い、また、自らも病気で死に瀕したこともあった。そして、「旅人」は天平二年(七三〇年)十二月、上京するため大宰府を後にする。この時の「旅人」は六十六歳で太宰府へもう戻ることはないと誰もが思っていた。
 次の二首は太宰府を去る「旅人」を見送る「遊行婦女児嶋(うかれめこじま)」の歌である。
(おほ)ならば かもかもせむを (かしこ)みと ()りたき(そで)を (しの)びてあるかも
凡有者 左毛右毛将為乎 恐跡 振痛袖乎 忍而有香聞(万葉仮名)(巻六 九六五)

 『貴方が普通のお方であれば、お別れに、あれこれしたいのに、(おそ)れ多くて袖を振るのを我慢してるのよ。』児嶋の職業は遊行婦女(うかれめ)である。旅人を多数の府吏(庁舎の官吏)が見送る中で、児島は歌を詠むことを遊行婦女である故、躊躇しているのである。(遊行婦女)とは
 しかし、児島は我慢が出来なくなる。

大和道(やまとぢ)は 雲隠(くもがく)りたり (しか)れども ()が振る袖を 無礼(なめし)()ふな
大和道者 雲隠有 雖然 余振袖乎 無礼登母布奈(万葉仮名)(巻六 九六六)

 『大和への道は雲に隠れているくらい遠い(それ程、貴方と私の身分は違うが)そうであっても、私が振る袖を無礼と思ってくださいますな。』袖を振るのは愛情の表現である。
 見送りの情景は次である。

右太宰師大伴卿兼任大納言向京上道 此日馬駐水城 願望府下 于時送卿 府吏之中 有遊行婦女 其字曰児嶋也 於是 娘子傷此易別 嘆彼難会 拭涕自吟振袖之歌(漢文)
 この日、旅人一行は(大宰府を離れ)馬を「(みづき)」に止め、府(太宰府の庁舎)を振り返る。この時、府吏(太宰府の官吏)の中に、見送る遊行婦女が居て、その名を児嶋と言う。この娘子は、この別れのあっけなさを悲しみ、彼(旅人)と二度と会えないことを歎き、涙を拭い、(児嶋は別れがいたまれなくなり)自ら「袖振りの歌」を吟じたのである。
 さて、これより約百九十年前に旅人の遠祖(とおつおや)の「大伴佐提比古」が「松浦佐用姫」と悲しい別れをしている。旅人はこの言い伝えを知り、次の二首を残している。
海原(うなはら)の (おき)()(ふね)を (かへ)れとか 領巾(ひれ)()らしけむ 松浦(まつら)佐用(さよ)(ひめ)
宇奈波良能 意吉由久布祢遠 可弊礼等加 比礼布良斯家武 麻都良佐欲比売(万葉仮名)(巻五 八七四)
()
(ふね)を ()(とど)みかね 如何(いか)ばかり (こほ)しくありけむ 松浦(まつら)佐用(さよ)(ひめ)
由久布祢遠 布利等騰尾加祢 伊加婆加利 故保斯苦阿利家武 麻都良佐欲比売(万葉仮名)(巻五 八七五)
 「松浦佐用姫」は、「()()を振ったが、児嶋は「袖」を振ったのである。旅人は児嶋の思いが痛いほどわかっていたのであろう。
 次は児嶋に答えた旅人の歌二首である。
大和道(やまとぢ)の 吉備(きび)児嶋(こしま)を ()ぎて()かば 筑紫(つくし)児嶋(こしま) (おも)へむかも
日本道乃 吉備乃児嶋乎 過而行者 筑紫乃子嶋 所念香裳(万葉仮名)(巻六 九六七)

 『大和へ行く途中にある吉備の児嶋を通る時には、筑紫の児嶋をきっと思い出すであろう。』「吉備の児嶋」は岡山県にある。(児島の観光)へ
大夫(ますらを)と (おも)へる(あれ)や 水茎(みづくき)の (みづ)()(うへ)に (なみた)(のご)はむ
大夫跡 念在吾哉 水茎之 水城之上尓 泣将拭(万葉仮名)(巻六 九六八)
 『立派な男と思う私が、水城の上で涙を拭ってしまうのである。』水茎と水城は掛け言葉である。ここで、旅人の心情を詩と歌で・・・I left my heart in sanfransisco
 「大伴佐提比古」の「領布振りの別れ」、また、「大伴旅人」の「袖振りの別れ」は、約百九十年を経て、二人の大伴は、奇しくも同じような「断腸の別れ」をしている。
 そしてまた、児嶋が「行旅(たびびと)」に贈る歌である。
筑紫娘子贈行旅歌一首 娘子字曰児嶋(漢文)
家思(いへも)ふと (こころ)(すゝ)むな (かぜ)まもり よくしていませ (あら)しその(みち)
思家登 情進莫 風候 好為而伊麻世 荒其路(万葉仮名)(巻三 三八一)

 『お家恋しと焦られますな。風に気をつけていらっしゃい。荒れるかもしれない船旅を・・・』
(注)「風まもり」とは、当時の船は「手漕ぎ」と「帆」で進む。風が強くなれば危険であり、また、風が弱いと手で漕がなければならない。そこで、都合の良い風になるまで船を止めて待っていた。これが「風待ち」である。
 大和へは瀬戸内海を船旅で行くことを思い、「無理をせず風待ちしてください。」と、「旅人」の身を案じているのである。冒頭の歌二首で「児嶋」の控えめな女らしさが、また、この「風まもり」の歌で心優しい心根がわかる。ナント控えめで優しいヤマトナデシコであろうか。そして、いずれの歌も秀逸ではありませんか。(完)
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 「旅人」の無事を祈る「児嶋」の心境を北国の青い空」でどうぞ。(尺八演奏、櫻井正隆)
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