「ホーマー富山へ行く(U)」(ボランティア活動/樹恩JUONネットワークに参加)

万葉集の「トブサ」は「鳥総」と書き、木の梢に鳥が止まることを言う。鳥は枝葉の繁った梢(木の上部)に止まる。木材を伐採後、切株の上に「トブサ」を刺し立て「山の神」に捧げる風習があった。万葉集の「沙弥満誓(しゃみのまんせい)」の歌に、万葉仮名で「鳥総立(トブサタテ)」とある。以下はその歌である。(他のページと一部重複します)
鳥総(とぶさ)()て 足柄山(あしがらやま)に 船木(ふなぎ)()り ()()()きつ あたら船木(ふなぎ)
鳥総立 足柄山尓 船木伐 樹尓伐帰都 安多良船木乎(万葉仮名)(巻三 三九一)
鳥総(とぶさ)を立て、足柄山の船木を切った者が居るが、船に使うアタラ良い木を、ただの材木にしてしまった。』(切る方法が間違っていると言っている)
 つまり、目にかけていた女性を、つまらないオトコに先駆けされ、ツマラナイ女性にされてしまった。
また、古い(いわい)(ことば)大殿(おおとの)(ほかい))に「(いま)奥山(おくやま)大峡(おほかい)小峡(こほかい)()てる()斎部(いむべ)(いむ)(おの)()ちて()()りて、(こずえ)をば山神(やまがみ)(まつ)りて中間(なから)()()()て」とある。そしてまた、「相模國風土記」に「足軽山(あしがるやま)此山(このやま)の杉の木を取りて船に造るに、足の(かろ)き事、他の材にて造れる船に異なり、()りて足軽の山と()づけたり云々(うんぬん)」とある。
 つまり「を立て、木を切る」のは「木」を神聖なもの、神の宿るものと、看做(みな)していたからである。そして、「木」を女性と見ていたのであろう。能登半島巡航)へ
 ところでボランティア活動、樹恩(木の恩)の行事」に参加した。インターネットで申し込んだが、御丁寧な返事がすぐに来て、簡単に参加することが出来た。平成二十三年十月十六日、十七日の富山県利賀村のスキー場の「草刈り」である。というのは、同窓会に参加するため一昨年前まで住んでいた富山県経由で神戸へ行くことにした。ところが、富山方面へ向かう新幹線に乗ろうとして東京駅へ行ったが、ホームで出発を待っていた列車に乗車してしまった。発車して車内アナウンスで気付いたが、途中の越後湯沢に止まらない新潟直行の特別列車である。(富山方面へは越後湯沢で乗り換えなければならない)車中で車掌に聞いたところ、終点着駅の新潟から越後湯沢へ戻り、ホクホク線で直江津から富山へ行くのが良いとのことであったが、そこで考えた。急ぐこともない。いっそのこと、時間はかかるが、新潟から各駅停車で浜伝いで、出雲崎、寺泊、柏崎、直江津を通り、富山へ行くことにした。
 というのは、昭和三十八年(1963年)、新潟大学農学部砂防工学科の受験をするため新潟を訪れたことがある。三八豪雪(さんぱちごうせつ)と呼ばれる大雪の年であった。大阪から寝台特急「日本海」で新潟へ向かう途中、富山の高岡駅でかなり停車していたので、列車を降り日本海側を見た。駅周辺に二階建ての家や建物が多くあったが、二階部分しか見えなかった。一階は雪に埋もれている。後で聞いたが、道から家へ出入りするのは二階からであったそうである。雪の少ない兵庫県以外に住んだことがない者としては、驚きであった。受験した新潟大学農学部は今、何処にあるのか知りたかったのである。
 新潟駅で時刻表を見直したところ、越後線というのがあり途中、新潟大学前という駅がある。昔と変わっている。確か、受験会場は新潟市内で、積雪量は富山県ほどではなかった。受験のための宿泊は、大学に頼んだところ学生寮に泊ることができた。この学生寮も確か大学の近くであった。徒歩で受験会場へ行ったと記憶している。
 さて、越後線に乗り、新潟大学前に着いたので電車を降りた。駅のホームで、学生らしい女性に「新潟大学は何処にあるのですか?」と聞いたところ「医学部以外はここにある。」とのこと。そうか、農学部は市内から移転していたのだ。女学生に学部を訊ねたら「教育学部で先生になる予定です。」ということなので、その一助になると思い「万葉ジョーク」のアドレスを伝えた。彼女は、長野県の千曲川の近くの生まれで、今から東京へ行くとのことであった。「千曲川」は、他の川と合流し、「信濃川」となり、新潟で海に入る。「山が海の母、生み(・・)の母かな。」とダジャレを言ったところ、彼女は「フフフ。」と笑っていた。(千曲川旅情の旅)へ
 しかし、新潟大学農学部砂防工学科に合格したが、地元の神戸商船大学機関学科に合格したので、新潟へ来ることはなかった。人生に「たらば」はないが、フト思うことがある。新幹線(列車)を乗り間違えるのと似ている。砂防工学は、山の土砂崩れなどを防ぐ学問である。土砂崩れを防ぐには、ダムを造ったり木を植える。船乗りを育てる学問とはかなり隔たりがある。それがこの年になり「恩(木の恩)」を語っている。やはり「人生を乗り間違えた」のであろうか?。いろいろと・・・。今、ここに居るのが不思議である。
 次の電車に乗り越後線を下る。弥彦線があり弥彦山に弥彦神社がある。能登半島の中島あたりの祭りに「火柱祭り?」というのがあり、十数メートルのタイマツを燃やすと、男神の弥彦山から見えるとのことである。(男の弥彦が見ると言う)能登半島の火柱の神は女神である。一年に一回なので七夕祭りと同じである。小島谷(おじまや)駅、「佐渡が島」に最も近いらしい。出雲崎駅、出雲(島根県)の神、大国主命(おおくにのぬしのみこと、大黒さん)が船でやって来たらしい。礼拝(らいはい)駅というのがある。「礼拝」とは曰くありげである。柏崎駅、「♪佐渡と柏崎や、竿指しや、届くよ、何故に届かぬ、我が思い・・・佐渡おけさ」の柏崎である。直江津駅、上杉の家老の「直江兼続」の「直江の津(港)」であろう。筒石駅、水上勉の小説に「越後筒石、親不知」というのがある。海辺に漁村の跡が偲ばれる。親不知駅、「親知らず、子知らず」である。波が打ち寄せる浜の道を、波の合間を見て素早く通る。親子で通り抜ける時、親が波にさらわれたり、子がさらわれたりする。危ない道である。上杉謙信は、上洛のため越中攻めをしたが、軍馬、兵糧などをどのようにして運んだのであろうか。船で運んだ方がよかったのではないかと思う。謙信自身は上洛はしたが、ついに都へ攻め上ることはなかった。時代が下り、江戸時代は「北前船」が日本海沿岸の港に寄港しながら北海道と大阪を行き来して、物流による商業で栄えた。当時は日本海の方が太平洋より安全である。ちなみに「紀伊国屋文左衛門」の「みかん船」は、危険な紀伊(和歌山、伊勢)から江戸への冬の航路を無謀とも言える船の運航をさせた。おそらく、船頭の腕が良かったのと運よく天候にも恵まれた。彼は江戸時代のギャンブラーである。ギャンブラーの末路は見えている。マア、これも男のロマンかも知れない。
映画「For a few dollars more(夕日のガンマン)のテーマ
 と言うようなことを思いながら糸魚川を通る。ここの姫川は翡翠(ヒスイ)の川である。東洋一のヒスイの産地である。ここのヌノカワ姫と結婚したくて、出雲から大国主命(おおくにのぬしのみこと)がやってきたとの伝説がある。それによると、彼女は彼の求愛を嫌って、長野県の諏訪湖あたりまで逃げ、彼は追いかけて行ったとのことである。出雲崎という地名はその名残かも知れない。その後、二人がどうなったのか不明だが三種の神器の一つ、勾玉(まがたま)はヒスイであり、ここ姫川の産に間違いがないそうである。「姫川」のヒスイが海に流れ浜に打ち寄せられる。宮崎海岸は今も海辺で拾うことができ「翡翠海岸」と言われる。
 黒部、魚津、滑川(なめりかわ)、水橋を経
て富山駅である。ところで、大正時代、全国に派生した「米騒動」は魚津、水橋あたりが最初である。この騒動の元は、江戸時代に氷見の漁師の「おっかちゃん(妻)」が起こした加賀卯辰山(金沢市)の「米寄こせ!」に見ることができる。氷見市史によると、加賀前田藩の出先(高岡市)の圧政により、食に窮した彼女ら約八百人は、氷見から数十キロ離れた金沢まで歩いて行き、金沢城の山の手の卯辰山に登り「米寄こせ!」と大声を挙げた。加賀藩は困り米蔵を解放したそうである。
越中女はスゴイ!。
 富山では「○○男に××女」と言われるが「甲斐性無しの男とたくましい女」との意味である。また、反対に「甲斐性のある男に美しい女」との意味でもある。(○○と××は今では手前勝手に言うこともある)

 富山駅で列車を降り駅前のビジネスホテルに泊まることにした。富山駅は北陸新幹線の工事の()()で大きく変わりつつある。(能登半島の朱鷺と万葉集の鶴)へ (つづく



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