『能登半島巡航・・・万葉集より』

「大伴家持一行」の能登巡航は、国府の「伏木(高岡市)」を船で能登郡の「香島の津(七尾市)」に行き、後、「熊来村(くまきむら、七尾市)」へ向った。ここから陸路で、「饒石(にぎいし、志賀町)」へ行き、また、「熊来村」へ戻る。ここで宿泊の後、「熊来村」を出航し「珠州(珠洲市)」へ行き、夜、大沼郡の「長浜の浦(場所不明)」へ到着した。ここから、家持一行は「伏木」へ戻った。この行程の詳細な記録はないが、歌の内容から推測して間違いない。また、右図からもそう思われる。(能登半島

能登郡の「香島の津」より船出して「熊来村」をさして行く時、作歌二首。
()(ぶさ)()て 船木(ふなき)()るといふ 能登(のと)島山(しまやま) 今日(けふ)()れば 木立(こだち)(しげ)しも 幾代(いくよ)(かむ)びそ
登郡従香嶋津発船 射熊来村往時作歌二首(漢文)鳥夫佐多氐 船木伎流等伊布 能登乃嶋山 今日見者 許太知之気思物 伊久代神備曾(万葉仮名)(巻十七 四〇二六)
 『(木に魂が宿っているので)鎮魂の祈りをしてから、船を作るため木を切ると言われる能登の山々を、今見れば木が生い茂っていて、神代の時代からこのようであったのであろう。』新月伐採)へ
()(しま)より 熊来(くまき)()して ()(ふね)の (かぢ)()()なく (みやこ)(おも)ほゆ
香嶋欲里 久麻吉乎左之氐 許具布祢能 可治等流間奈久 京師之於母倍由(万葉仮名)(巻十七 四〇二七)
 『香島より熊来に向い漕ぐ船の舵を取っている間も都のことが懐かしくてならない。』家持は妻(坂上大嬢)を都(奈良)に置いて、単身赴任している。

鳳至郡の「饒石川(にぎいしがわ)」を渡るときに作った歌、一首。
(いも)()わず (ひさ)しくなりぬ (にぎ)石川(しがわ) (きよ)()ごとに (みず)(うら)()へてな
鳳至郡渡饒石川之時作歌一首(漢文)伊毛尓安波受 比左思久奈里奴 尓芸之河波 伎欲吉瀬其登尓 美奈宇良波倍弖奈(万葉仮名)(巻十七 四〇二八)
 『妻(恋人)と接せず、どれだけの日が過ぎ行きたことであろう。饒石川の清い瀬ごとに水占いをして、何か良いことがないかと期待している。』男のみの能登巡航であるが、何を期待しているのであろう。(能登のくじり祭り)へ
 珠州郡より船出し、大沼郡に還る時に「長浜の浦(場所不明)」に泊り、月の光を仰ぎ見て作る歌、一首
珠州に きして 漕れば 長浜に りにけり
従珠州郡発船 還大沼郡之時 泊長浜湾 仰見月光作歌一首(漢文)珠州能宇美尓 安佐妣良伎之弖 許芸久礼婆 奈我波麻能宇良尓 都奇氐理尓家里(万葉仮名)(巻十七 四〇二九)
 『朝早く珠洲の港から船を漕ぎ出し、「長浜の港」へ着いた時には、月が出ていた。』
 家持一行は「珠州港(石川県珠洲市)」を朝、能登巡航に出発した元の伏木方向へ向い出港した。大沼郡の「長浜の港(七尾港?)」までの約五十キロを漕ぎ、また、風向きによっては帆走したのであろう。「長浜の港」に着いた頃に月が出ていたところを見れば、夜になっていた。朝から約七時間くらい漕ぎ続けたと思われる。こりゃ疲れる。(注)船の速度を四ノット(時速約七キロ)として、約七時間を要したと思われる。(完)

ボルガの舟歌夕日に赤い帆”Red sails in the sunset"

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(参考)下図は「大伴家持巡行推定図(高岡市万葉歴史博物館)」である。


家持の能登巡航海路図

渋谷崎の夕日

七尾湾の月
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