のチラリズム・・・万葉集より」

 「覗き見」とは言えないまでも女性を隠れて見ていた男がいた。万葉の男も美しい女性の足元を見たいと思ったのだ。

住吉(すみのえ)の (いで)()(はま)の (しば)()りそね 乙女(をとめ)らが (あか)()(すそ)の ()れて()かむ見む
住吉 出見浜 柴莫苅曾尼 未通女等 赤裳下 閏将往見(万葉仮名)(巻七 一二七四)
 「住吉の出見の浜の雑木は刈り取らないでおくれ。乙女達が赤い裳裾を濡らしながら歩く姿を隠れて見ていたいから。」男どもは身を隠す柴(雑木)が刈り取られたら困るのである。そっと見ているのを知られると、乙女達は浜辺を歩いてくれない。「隠れて見る」それが楽しいらしい。

次の歌は「若者どもは狩りに行き、乙女達は爽やかな浜辺を赤い裳裾を引き摺りながら歩いている。」
丈夫(ますらを)は み()りに()たし 乙女(をとめ)らは (あか)()裾引(すそび)く (きよ)浜辺(はまび)
大夫者 御獦尓立之 未通女等者 赤裳須素引 清浜備乎右一首 山部宿祢赤人作(万葉仮名)(巻六 一〇〇一)

 これは、何と美しい光景だ。                     

次は(くれない)の色」が水面に映えている光景である。「黒牛の海に紅が匂い立っている。(紅の衣を着た)大宮人が潮干狩りをしているのであろう。波打ち際で裳裾を濡らしながら貝などを拾っている。」
黒牛(くろうし)(うみ) (くれなゐ)(にほ)ふ ももしきの 大宮人(おおみやひと)し (あさり)すらしも
黒牛乃海 紅丹穂経 百磯城乃 大宮人四 朝入為良霜(万葉仮名)(巻七 一二一八 藤原房前)

 そして、『黒牛の潟で潮の引いた浜辺を、(たま)(貝、石、真珠翡翠ヒスイなどで飾ったを引き摺りながら行くのは誰の妻であろうか。』
黒牛(くろうし)(がた) 潮干(しほひ)(うら)を (くれなゐ)の (たま)()(すそ)()き ()くは()(つま)
黒牛方 潮干乃浦乎 紅 玉裾須蘇延 往者誰妻(万葉仮名)(巻九 一六七二)
 この歌の作者は、「紅が匂い立つ美しい妻」を持つ夫が羨ましいのであろう。


「徳島、阿波踊りナント!裳裾の乱れが悩ましい、また、美しい!オミゴト。」


入田浜ビーチ
(静岡県下田市)

真珠貝、あわび貝、白蝶貝、黒蝶貝、青貝、夜光貝などが嵌め込んである。
正倉院 螺鈿紫檀五弦琵琶

()ちて()ひ ()てもぞ(おも)ふ (くれなゐ)の (あか)()(すそ)()き ()にし姿(すがた)
立念 居毛曾念 紅之 赤裳下引 去之儀乎(万葉仮名)(巻十一 二五五〇)

 『今もあの人のことを、立っていても思い出し、また、座っていても思い出す。紅の匂い立つ裳裾を引き摺りながら、美しいあの人が去って行く姿を、ずっと忘れられないでいる。』と、男が女性を見送っている。

 この時代は、女性が男性の家へ行くのではなく、男が女の家へ行く「通い婚」、つまり「男性が通う」のが通常である。この歌のように「女が男の家へ行く」のは、「男が女の家へ行けない事情」がある。例えば、「女の親が許さない」とか、「女が既婚の場合」である。ということなら、「次の二人の逢瀬」は、もうないかもしれない。
 『何をしていても、思い出してしまう。心なしか寂しそうに見えた美しいうしろ姿が、いつまでも忘れられない

いつまでもいつまでも」(ザ・サベージ)

 「住吉の出見の浜」は、大阪市住吉区の住吉大社西方の「浜辺」で、「黒牛の海・黒牛の潟」は、和歌山県海南市の「黒江の海」と「黒江の潟」であろう。

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裳裾に風
じょんから女節」(長山洋子)
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