『ホーマー富山へ行くY』(「メダカ不夜想会のタイワ精機訪問と越中大手市場への復活)

 さて、久しぶりにタイワ精機さんへ行くことになった。高井芳樹会長と初めてお会いしたのは、平成17212日であった。当時、主催者は富山市五福の「コーポ青山」の一階、106号室に住まいをしていたのであるが、高井会長は、確か、新聞、若しくは、テレビで「メダカ不夜想会」を知られて、電話をいただいたのである。真冬にメダカを求めておられた方は、高井会長のみである。驚いた。

部屋はワンルームであり、部屋の中へ入っていただくには気が引ける。会長には申し訳ないが、二月の寒さを我慢しながら通路で立ち話である。既に、会長は、「会の趣旨(自然保護)」を理解されていて、スグ、名簿に記入され会員になられた。そして、後日、会社(タイワ精機)を訪問することを約束した。

「メダカ不夜想会」の主催者の私は、一応、農家の経験があり、予ねてより現代農法に興味を持っていた。と言うのは、祖父(二代目井上仁三郎)は、未だ「自動田植え機」がない時代(昭和30年頃)、私と共に機械の開発がしたいと言っていた。(注)祖父は、農機関係で実用新案を二つ申請受理され保持していた。
 しかし、志半ばの83才で死去したので、思いを遂げることが出来なかった。最後の言葉は、「もう少し生きたかった。」であった。私に期待をしていたが不肖の孫は、ヤクザな船乗りになってしまった。しかし、未だに祖父の思いを忘れていない。またまた、得意の横道へ迷い込みそうなので本題へ戻そう。

最初の「タイワ精機」さん訪問の時である。会長自ら会社を案内していただき、「米糠(こめぬか)」に依る「無農薬農法」を教授いただいた。感銘した。つまり、頭脳を使う現代式「古代農法」である。言い過ぎかも知れないが、本来、「現代化学による農法など、この日本には不要である。」と思う。少なくとも昭和初期迄はそうであった。昭和二十年台、記憶では実家の農業倉庫に農薬はなかった。「シモゴエ」を用い、リン酸補給のため、鰊(ニシン)の「ニシン粕」を田や畑に撒いていた。「シモゴエ」は人のモノだけでなく、飼育している「牛」と「鶏(ニワトリ)」、また、祖父は近くの朝鮮人が街中で「豚」を飼育していたので、その「シモゴエ」を買い求めていたのを覚えている。驚くなかれ”やっかいモノを買い求めていたのである”。兵庫県加東郡小野町中村(現小野市中町)の中で、それをしていたのは知る限り祖父だけであった。勿論、そのまま田や畑に撒くわけではない。「肥溜め(こえだめ)」で養生した後である。(注)この農法で作った「米」と「野菜」を食べていたので、富山の「コシヒカリ」はともかく、「野菜」は故郷を離れてからあまり食べたくなかった。(ハワイのマウイ島とイタリアのシシリー島で食べた野菜はおいしく、今も味を覚えている)また、農薬で強く印象に残っているのは、害虫駆除のため使用を始めた「パラチオン(ホリドール)」である。鼻を衝くイヤな臭いと健康被害があった。
 ところで、私には外国人に対する偏見が殆どない。兄もそうであり、朝鮮人の同級生と特に親しくしていた。また、私は高校でサッカー部に入ったが、キャプテンは朝鮮人であり、今も親しくしている。今、思えば、これらの経験が先にあり、外国に憶することなく、外国航路の船員の道を歩ませたのかも知れない。(いかにもクサイ話である)しかし、毛沢東時代の中国へ行き、また、かなりの回数、中国へ行ったが、今も中国人(台湾、香港は除く)だけは好きになれない。おそらく、これからもそうであろう。(注)今も残る中国人の「中華思想」が主たる原因である。勿論、全ての中国人をそうとも思わない。私見だが中国東北部、つまり、満州族は、さほど嫌いでない。近い同祖のモンゴロイドだからであろう。それと、田舎(農村)出身の彼らも嫌いでない。私が農家の出だからであろう。

当時(平成17年、2005年)、ビオトープは富山に殆どなかったが、高井芳樹会長(当時、社長)は、独自で会社横に作られた。主催者の訪問時、高井会長からビオトープについて質問されたので概要を話し、また、「メダカの学校」と称するビオトープらしい水田が新湊市(現富山県射水市)にあることも話した。その後、「タイワ精機のビオトープ(右)」は知る人ぞ知るモノになっていると、「メダカ不夜想会」会員の金木春男氏(射水市三ケ)より聞いた。そこで、金木会員に写真をお願いし、それらを「メダカ不夜想会」のホームページで公開した。
(左、射水市作道「メダカの学校」2012.5.2 金木会員撮影)
 さて、「メダカ不夜想会」越中大手市場への復活である。私は富山に居た頃「メダカ不夜想会」というのを主催していた。その会は「絶滅危惧種の日本メダカを育て、増やして、自然に戻そう」という私の主催としては真面目に「メダカの保護」を目指し、会の名も「メダカ不夜想会」メダカを増やそうかい、最近の自然の変化が気になり始め、眠れなくなり夜がなくなるくらい自然環境を想う会)と称していた。会員数は三百人以上に増え、会の趣旨は理解されていたと自負している。その後、私個人の都合で休会にしてしまって残念に思っていた。また、親しくしていただいた「越中大手市場の方々に申し訳なく思っていた。そこで、約6年ぶりに横浜からインターネットで出展を申込み 7月22日(日)に「メダカ不夜想会」「越中大手市場」で復活させていただいたのである。次ページ)へ (戻る


「タイワ精機の水田」(平成18年初夏)


「タイワ精機のビオトープ」(平成24年5月)




タイワ精機のビオトープと水田平成24年6月25日)
(カイエビ出現)

(写真上、右より)
里 至博タイワ精機稲作研究会々長
吉岡翼富山市科学博物館研究員
高井芳樹タイワ精機会長
井上二士夫メダカ不夜想会主催者
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