戦時徴用船の最後

 太平洋戦争では多くの民間の船が徴用され戦争の犠牲となった。その事実を後世に伝えるべく「戦時徴用船の遭難記録画」として、「横浜みなと博物館特別展示室(2013/9月)」で展示会が開催されていた。現大阪商船三井船舶(当時は大阪商船)嘱託であった「画家 故大久保一郎氏」が描いた画である。
 ご承知の通り、我々の先輩(高等商船学校卆)の犠牲も多数である。戦没船員の悲惨な実態を伝えるものに、軍人を上回る犠牲と、いたいけな年少船員の多いことが挙げられている。軍人の損耗率は、陸軍20%、海軍16%となっているが、船員は43(漁船、機帆船の正確な数字が把握困難なので推計)にも及んでいる。
 この背景には、戦時特例により海員養成所、商船学校、高等商船学校などの卒業年限が大幅に短縮されて乗船したこと、船舶の急激な喪失による船員の犠牲をカバーするため、大量の船員養成が行われたこと、などによるものである。太平洋戦争に生き残った船員から聞き取った話を元に「画家 故大久保一郎氏」が描いた記録画(遺作37点)の画展が開催された。
 これらの絵画は、当時の大阪商船(株)の社長であった「岡田永太郎氏」が、次々と沈められていく社船と犠牲となっていく船員に胸を痛め、厳しい軍事機密の中で、同社の嘱託であった「画家 故大久保一郎氏」に依頼し、生存船員等の証言を基に画かれた絵画(30号油彩37点)である。これらの絵画は、徴用船の悲惨な最期を伝える唯一ともいえる貴重な記録でもある。
 戦後の混乱で所在不明となっていたが、昭和57年、同社の倉庫より発見された。この内、修復され展示可能となった37点が、現在、(株)大阪商船三井船舶に保管されているのである。(画集戦時徴用船の最後
 太平洋戦争による船員の犠牲者数は六万人を超えている。合掌

戦没船員の碑(横須賀市)」


安らかにねむれ わが友よ 波静かなれ とこしえに

戦日に 逝きし船人を 悼む碑の 彼方に見ゆる 海平らけし
 天皇陛下御製

かく濡れて 遺族らと祈る 更にさらにひたぬれて 君ら逝き給ひしか 皇后陛下御歌

(注)天皇陛下の御歌戦日に・・・海平らけしには、陛下の平和を祈る思いが伝わる。また、皇后陛下の御歌であるが、追悼式に参列された日が生憎の雨であった。かく濡れて・・・君ら逝き給ひしかとは、「雨にも海の水にも涙にも濡れに濡れて」との意であろう。二つとも見事な御歌である。
 世の中を 何に(たと)えむ 朝開き 漕ぎ()にし船の 跡なきがごとし
(万葉集 巻三 三五一 沙弥満誓作)

 世の中を何に譬えたらよいであろう。朝、港を何処かへ向い漕ぎながら去って行った船の跡かたは消えて何もない。人の世もそのようなものである・・・南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 合掌
(注)朝開きとは、出港の意


 この画展は、来年(2013年)、820日から靖国神社で開催の予定である。
(本文は公益法人日本殉職船員顕彰会より抜粋・校正した。2012.9.18 神戸商船大学卆12E 井上二士夫記)


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ぶら志”る丸12,752総トン


「九州丸」(8,666総トン、上)
「高千穂丸」(8,154総トン、下)

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