「飛騨鰤(ひだブリ)」(出世魚ブリ・ブリ街道)

「鰤(ブリ)」という魚、成育と共に名前が変わる「出世魚」である。幼魚は「藻雑魚(モジャコ)」。この呼び名は、南の海で生れ、海面に浮かぶ「流れ藻」と共に「対馬暖流」に乗り、「玄界灘」を北上し「日本海」へやって来ることからである。やがて「ツバイソ」から「コズクラ」と成る。次の「フクラギ」は、太平洋沿岸の呼び名は「ハマチ」である。が、日本海沿岸では「フクラギ」である。次は「ガンド」、または、「ガンドブリ」と呼ばれる。最後は「鰤(ブリ)」である。一方、「イナダ」は夏に「塩漬け」にしたモノを言う。
 鰤(ブリ)」は、日本海の冬が美味しい。脂がたっぷりと乗る。特に富山湾の大敷網もしくは大謀網と言われる定置網で獲れる鰤が最高とされる。しかし、越中鰤は脂が多く好みがあり、今、富山では脂を少なくする鰤のしゃぶしゃぶが流行っている。ちなみに、刺身で好まれるのは「ガンド」である。ところで、富山湾の「鰤」は、昔は越中鰤と言われたが、今は氷見鰤がブランドになっている。
 
 さて、その「鰤」が信州(長野県)などで「飛騨鰤(ひだブリ)」と呼ばれるのは何故かである。

現在、国道41号線は「神通川」の険しい山道を登り行き先は名古屋である。以前は「飛騨街道」、「飛越街道」と呼ばれた。「神通川」添いに登るが橋がないところに「カゴの渡し」があった。山間の狭い谷を選んでロープを渡し、人や荷物をカゴにぶら下げ対岸まで渡す。浮世絵画家の「安藤広重」「カゴの渡し」の「蟹寺村」を「六十余州名所図会飛騨籠渡図」で描いている。この街道は比較的積雪が少なく冬でも荷を人力や牛馬で運ぶことが出来た。
 「鰤」が必要とされるのは、もっぱら年末から正月で、師走には多量の「鰤」を運んだ。勿論、冷凍設備がない時代である。「鰤」が腐らないように、たっぷりと塩を含ませ、富山から飛騨へ約92キロの距離を約4日で運んだ。また高山では「鰤の市」が立ち、大いに賑わった。
 ところで、信州(長野県)からやって来る魚商人は、高山で飛騨鰤を仕入れることが出来ない。仕入れが出来るのは地元商人のみであった。そこで、「私めにも売っていただけまいか?」と、「もみ手をしながら仲買に頼んでいた。」とのことである。そして、越中鰤野麦峠を越えて信州の松本まで運ばれ、飛騨鰤と名前が変わる。ちなみに、松本から他へ行くと「松本鰤」と呼び名を変える。高山では鰤一匹が米一斗と同値であるが、信州では、運搬費用、手数料(利益)、税金も掛かり、また、小売の利益が加わり、米一俵(元の四倍)の価格になったと言う。今でも鰤は飛騨で獲れると思っている人が居るらしい。

(注)「鰤」は、海で名前を変え、山でも名前を変え、値段も値打ちも変えることになる。以上は「(財)岐阜県産業文化振興事業団、飛騨・世界文化センター課編・田中彰著」より、一部を抜粋し引用した。

高山から野麦峠を越える道は雪が深く、人が荷を背負って運んだ。これを「歩荷(ボッカ)と呼び、一人で60100キログラムを担いだ。高山と松本間の24里(96キロ)を8日間かけて運んでいた。つまり、富山から松本まで運ぶのに17日を要した。更に、野麦峠などを越えて、伊那へ、諏訪へ、木曾谷へと運ばれた。その間に鰤に塩が馴染み、独特のウマミが加わる。一種の発酵である。「今頃の人ちゃ、刺身ばっかりで、こん味をウマイと言わんがいちゃ。」と富山県水産試験場の方は言う。

このルートを「鰤街道(ブリかいどう)」と言い、富山県、岐阜県、長野県が観光化を図っている。鰤は高価で主に金持ちが食べていた。しかし、無理を重ねて買う人も居た。その人は一年を「ブリブリ言って過ごした。」そうである。ここまで来ると、最早、鰤を食べるのは執念である。通常、金持ち以外は塩イワシ塩サンマであったと言う。
 ちなみに、信州では秋口に大量のが川を遡上していた。これがすごい量で、千曲川、犀川、姫川などであった。東筑摩郡は、昭和初期まで信州最大のの水揚げがあった。昭和八年(1933年)の長野県統計では千曲川と犀川の漁獲量合計は67トンである。その後、昭和15年(1940年)の「西大滝ダム」の完成での漁獲量はゼロになった。
 「鰤」を食べるのは「あゝ、もったいない。」である。その後、信州へ「鮭」は入った。しかし、関西文化の影響もあり、信州人は「鰤」が食べたかったのであろう。また、信州人は教育熱心で出世魚である「鰤」を食べるのは、子供の出世を願う親の思いかも知れない。ともあれ、信州で鰤と鮭の食文化が混在している。松本市立博物館が行ったアンケート調査では、昭和初期迄は鰤と鮭の両方で新年の祝いをしている家があったとのことである。
(注)兵庫県小野市でも正月のおせち料理に鰤の焼き物があった。出世魚「鰤」の呼び名に「年取り魚」を加えるべきであろう。(完)

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「閑話休題」
 船乗り仲間に郡上八幡の出身者が居る。彼に会いに、三度、ここへ行ったが「郡上踊り」に「かわさき」がある。「♪郡上のナア、八幡出て行く時は、ハ、ソンデセ!雨も降らんのに、袖しぼる、ハ、ソンデセ!♪」この「かわさき」の歌詞に「あゝ野麦峠」が重なってならない。(女工哀史「あゝ野麦峠」)へ
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